日常は、いくつかのスタメン歯車でできているから(11月27日)
今日は午前中インタビューが1件。山梨のおはなしを聞いていて、そういえばゆっくり滞在したことがない、というかどこかにゆっくり滞在したことなんてほぼない、ということに気付き。10日間くらい、どこか別の場所で仕事をしながら過ごしてみたいな、と思いました。
今日このポストをみて、いい言葉だなとメモ。
ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、
自分の想像力を自由に発揮することができるのです。
手放す、というのは言い換えれば、失ってしまう、とか、別れてしまう、とか、そういう寂しさや悲しさに近い気持ちが紐づきかねないのだけれど。マイナスに見えるそれこそが、実は少し先の自分にとって「これがなければ今の私は存在しなかった、うんうん」と思えるような大事な鍵だったりするんだな(もうちょっとわかりやすくてもいいのにね)
良薬は苦いもんだぞ、とか、かわいい子はレッツ旅、的な言葉もあるし。昔から変わらない法則みたいなものなのだろうけど。それにしても、手放す、って本当に勇気とキッカケがいるムーブだなと思うわけです。いきなり手放す、は難しいから歯車を順番に回すみたいに、小さくて、遠いところから少しずつ動かしていくといい気がしていて、その手をかけやすい小さい歯車に私の場合は、掃除とか自炊とかランがあります。さわってみて動かしてみて、そのあとじゃないと想像することすらできない場所がある。
日常は、いくつかのスタメン歯車でできているから、それを手放し、なにもかも触れたことのない場所に行き、てさぐりに触れ、見て、感じることで新しい歯車をぎぎぎぎと回してみるというのが、「自分」っていう個体を次の場所に連れて行ってくれるのかな、とか。
午後は本宮小学校の授業でした。外部講師のような形で半年くらいかけて一緒にゲームを作っています。家族や地域の大人に、思い出や、うわさや、歴史をインタビューして、それを楽しみながらまた誰かに伝えられるゲームです。やっと最終の形が見えてきて、ほっとしています。子どもたちが聞いてきたインタビューのメモがとても良くて、読みながら「孫から聞かれて、このおばあちゃんはどんな声で話してくれたのかなあ」とか想像しています。話すって楽しい、聞くっておもしろい、そんな気持ちになってもらえるゲームにしあげたいな。
毎回「菅原茉莉さま」って玄関に、歓迎!的な張り紙がしてあって、2人の子どもたちがお迎えにきて待っていてくれます。まりせんせい〜って呼ばれてちょっと照れる。授業が終わるとなぜかいつも「サイン」という名のお絵かきを求められます。初日、慣れないイラストを一人に描いたら、「イラストを描く人」として認知されてしまい…今日はスティッチと悟空と、キティちゃんとシナモロールを描きました。もうむりだよ〜といいつつ携帯で画像検索して必死。
年度内には完成予定。完成したら行けなくなっちゃうのか、さみしいなあ(まだはやい)